自然農法で野菜を作る事。これは、これまでの「肥料ありき」「農薬ありき」の栽培とも、そして有機栽培とも、一線を画する栽培方法です。
これまで当たり前と考えられてきた「肥料をやらないと植物は育たない」という考え。これこそ人間が多収するために都合よく決めた理屈であり、それならどうして、森の中で木々はあんなに立派に育っているのでしょうか?全く説明がつきませんね。自然農法に関わる前、子供の頃からとても不思議に思ってきました。
そもそも、土と言うのは、木や草や落ち葉、残渣などが分解され、何百年もかけて、腐熟化、団粒化して、さまざまな養分や水分を効率よくキャッチできる構造をつくっていきます。
それに対して化学肥料は、どんな土であろうと、投与した肥料がそのまま水に溶けると即、植物の根から吸収できるような仕組みの肥料なのです。
化学肥料場合を使った場合には、土が肥えていようがいまいが、皆同様に見た目は大変立派な収穫物を得ることができます。
しかし、自然環境を見ると、畑の中でも、草などは放っておくとどんどん背丈が伸びていきます。
これは、肥料を施さずとも窒素が土の中で足りている証拠なのです。
皆さんが、お店で野菜を選ぶ際の基準は、何でしょうか?
もちろん、鮮度は大切ですが、菜っ葉類や緑黄色野菜の場合、野菜の「色の濃さ」を比べてみてください。
緑色の濃い野菜は、とても健康そうに見えるでしょう。
むしろ、色の濃い野菜を選んでいませんか?
実はこの緑色の濃さこそ、窒素過剰の証で、緑色の濃い野菜ほど、比例して硝酸態窒素(しょうさんたいちっそ)が、高濃度で含まれている場合が多いのです。植物に与えた栄養分(窒素分)が、植物自身で消化しきれずに、濃度の濃い状態になる、そうするとそれを狙って虫が来ますし野菜自身も病気にもなりやすくなります。こういった硝酸態窒素濃度の多い野菜は虫が好みますので、本来は、人間ではなく、虫さんが食べてしまわなくてはいけないのですが、無理矢理農薬を使って人間が奪取しているのが現状です。
又、有機野菜でも、肥料を多く使いすぎると硝酸態窒素濃度の濃い野菜が出来てしまいます。結局究極の味と安全を求めると、米も野菜も無施肥で栽培するのが人間にとっても環境にとっても最善の方法なのです。
自然の摂理から考えると、枯れた草や落ち葉などの有機物を、土の表面や土中にいるミミズや微生物がこれらを餌にして分解し、植物が根っこから吸収する事のできる無機物(微小な物質)の形になってから、自然に植物が栄養として吸収し、成長するのです。
森の木が大きく青々と茂っているのは、毎年落葉し、落ち葉が微生物によって、植物が吸収できる形にまで分解され、その栄養を吸収して、肥料無しでもあのように大きく育つのです。
農薬や化学肥料、除草剤などを使う事は、自然の摂理を完全に無視し、微生物を皆殺しし、生態系を分断させ、死の土となります。
このようにしてつくられた結果の収穫物は、店頭に並んでも、その背景は購入する側には見えません。
健全な野菜ほど色が薄い、これを覚えて頂けたらと思います。
硝酸態窒素、これこそが、さまざまな野菜、果物を食べたときに感じる、苦味、エグ味、渋み、の原因です。
このアクの元となる硝酸態窒素、これが体に悪いということは、以前、赤ちゃんの突然死、ブルーベビーという大事件がアメリカで起き、知られることとなりました。また、最近は子宮内膜症の原因としても疑われています。
実はヨーロッパEUでは、硝酸態窒素の基準があるのですが、日本には基準がありません。
昔は、化学肥料などありませんでした。
さらに大昔には、刈り草(青草)やワラなどを敷き詰めるのみで、それが徐々に分解し、土を肥やし、それを吸って植物が育っていました。
昔は、自分の畑で育てた野菜から種をとり、次年度までそれを維持して、また撒いて育てて、という循環を皆が行っていました。今は、春になったら種や苗を購入してくる方が多くなりました。
自然農法では、昔の農業を行います。
その土で育った野菜は、その土の特性を覚え、徐々にその地でより良く育つための性質を獲得していきます。何年も種を同じ地で更新して行くことにより、その土地にあった野菜になっていくのです。
今、日本の全国各地で、希少な在来種として残されている品種が少しだけあります。
そういった品種は、昔の人が細く長く、昔の農業を続けてくれていたからこそ、現在まで命をつないでいます。
天神自然農園では、この考えを元に、化学肥料はもちろん、動物系堆肥も一切施さず、可能な限り種(たね)もこの地で更新して行き、「栽培する土地にあった野菜」を選び、旬の時期に旬の野菜を無理なく育てて、お届けさせて頂きます。